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加工食品について

高い加工技術で未来へ挑戦
 

 鮮魚の需要が縮小傾向にある今日、より手軽に食べられる本格的な鮮魚の加工品を開発し、もっと多くの人に魚を食べてもらうことで将来的な市場拡大に貢献し、魚の食文化を次世代に伝えていくことを目指しています。

 

 

 (12.3 : 2030年までに小売・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、 収穫後損失などの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる。)

 

はりかい独自の骨軟化加工による「丸ごと食べられる」シリーズ

【播磨の三郎ハモ】 

 大きすぎるハモは、骨切りという料理法が通用しなくなる程、身の中の小骨が硬いのでマーケットでは敬遠されがちな食材でした。しかしながら、その身の美味しさに目を付けた当社では、蒲焼きに仕上げました。
 見た目そのままの通り、しっかりと小骨は入ってますが、全く骨を感じさせない口当たりになっています。


 

「播磨の三郎ハモ」の開発では、2017年3月姫路市ものづくり開発奨励賞を受賞いたしました。



 
【たい焼きちゃん】
 頭から尻尾まで食べられるように加工した鯛なので、「おうちで、ごみゼロミッション」が達成できます。
そのまま焼き鯛として、または鯛飯の材料としてお使いいただけます。




 
ネーミングの由来
 
【播磨の三郎ハモ】
 兵庫県では、大きいサイズのアナゴを「伝助穴子」と言います。今では名物品の代名詞になっていますが、昔は大きいアナゴは骨が太く、食べにくいため捨てられていました。そのため、兵庫県の昔話に登場する『大きくて役にたたない』伝助という人物の名前に由来して、「伝助穴子」と呼ばれるようになったみたいです。

 大きいハモも同様に「伝助」と言えるかもしれませんが、さすがに「伝助鱧」と呼ぶことは出来ません。そこで、大きいハモの蒲焼きに「三郎」を使ったのは、スペイン語「サブロッソ(sabroso)」の当て字としています。サブロッソは「食べ物が美味しい」という意味の単語ですが、「美味しい」から派生して「イケてる!」というニュアンスにも使われています。そこで、イケてる!(美味しい)ハモ → サブロッソなハモ → 三郎ハモと呼ぶようにしました。


【たい焼きちゃん】
 1970年代の子供番組『ひらけ!ポンキッキ』からヒットした「およげ!たいやきくん」という楽曲がありました。骨を軟化させたやき鯛は、「あんこの入っていない、たいやき」みたいだね、ということで、「くん」付けでなく、「ちゃん」付けで呼ぶことで「たい焼きちゃん」になりました。













 

はりかい独自製法による「燻製」シリーズ
 
【播磨の口女】
 姫路の特産品について「からすみ」があります。姫路市のホームページでは、瀬戸内のきれいな海で獲れたボラの卵巣を塩漬けにしたあと、塩抜きを行い、天日干しで乾燥させた加工食品と紹介されています。

 ボラの漁場を見ていると、ボラのオスのあらは肥料に回されていました。そこで、白子って「もったいない」と感じた当社は、姫路の新たな特産品として「白子の燻製」を商品開発し、播磨の口女(はりまのくちめ)とネーミングしました。





「もったいない」から始まった播磨の口女の開発は、新たなエコロジー様式を提唱することになり、2年連続して姫路市ものづくり開発奨励賞を受賞する礎となりました。

 
ネーミングの由来
 「これって何の白子ですか?」って聞かれた時に「ボラです」と答えると、「臭くない?」って返されるケースがよくありました。ボラって臭い魚の代表格みたいなイメージがあるのも事実です。これは、日本の高度成長期に河川が汚れ、その河口域でよく見かけた魚がボラであり、その時のボラは確かに臭かった。一方、江戸時代から昭和の初期に至るまで東京湾ではボラの養殖が盛んに行われるほど高級魚として扱われていました。

 いろいろとボラのことを調べてみると、日本書紀に書かれている山幸彦と海幸彦の神話の中にボラが登場していました。そこには2種類の魚が記載され、1つは赤女で「鯛」のこと、もう1つは口女で「ボラ」のことです。神話の中に「鯛」と同格のように「ボラ」が出てくるなんて、すごいと思いませんか。そこで、ボラのイメージ回復を願い、口女(くちめ)を燻製品のネーミングに取り入れました。





 
【牡蠣の燻製】
 はりかいプロデュースの牡蠣の燻製は、脱オリーブオイル漬けが出発点となりました。理由は、他社の二番煎じを嫌ったため、および長期保存方法に冷凍を選択したからです。そこで、羊羹みたいな食感の燻製が仕上がりました。



 はりかい調べによる牡蠣燻製の歴史は、以下の通りとなりました。

 燻製した牡蠣のオイル漬けが広く知れ渡るようになったのは1960年代以降のようですが、燻製牡蠣の歴史について詳しいことはよく分かっていません。文献的に調べてみると、1880年代と1930年代以降のアメリカの様々な新聞で、燻煙された牡蠣を紹介していました。

 1881年の「The Detroit Free Press」は、サンフランシスコ在住の中国人が燻製牡蠣を嗜んでいることを伝えています。この当時は乾燥した牡蠣を原料にし、海藻を燃やして燻製したものであったようです。

 1935年になると、オレゴン州セーラムで発行されている「The Statesman Journal」に “Geisha Smoked Oysters in olive oil (Something different and very tasty)”という広告が掲載されていたらしい。これは日本の牡蠣を使った燻製のオリーブオイル漬けの缶詰のようです。

 また、この牡蠣燻製の缶詰について、1945年の「The Brisbane Courier Mail」の記事の中に、アメリカ軍の売店に日本の業者(野崎産業)から供給されたものと紹介されていたみたいです。

 以上の事を鑑みると、牡蠣の燻製の発祥はアメリカ在住の中国人によるものであるが、オリーブオイル漬けは日本の業者によりアメリカ向けに開発された商品だったと思われます。

※GEISHAブランドとは、現在、川商フーズ様のブランドの1つです。